いすみ市「星空の長屋門の家」に引っ越しました

「パラレルな日常」

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また引越した。

3月に勝浦から館山へ。

4月に館山から南房総の白浜へ。

そして、この6月頭に白浜からいすみへ。

旧知の縁で辿り着いたのは、この荘厳な長屋門を構えた民家だった。

ここ数ヶ月、拠点を移動し、当地で暮らしていった中で、何度もなんども駆け回っていたはずの千葉県のことを如何に知らなかったか、ということを思い知らされた。

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大型宿泊施設が数多く立地する館山。

この地では若い外国人労働者の方たちのアパート暮らしの一端を垣間見ることになった。旅館からの送迎車がアパート前まで迎えに来ることもあった。彼ら彼女らの存在なくしては成り立たない宿泊施設も多いであろうことを窺わせた。不動産会社の方に訊くと房総において、水産加工施設の立地する地域でも外国人労働者のアパート需要が高いのだという。

外国人労働者は今や欠かせない存在だが、一方で地域内において「個」としての存在感があまりに薄いように感じる。それは私が、彼ら彼女らの暮らしが見えないから、認知できていないからだと思う。

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見えないことは分断を生む。

分断が見えなくする。

そう思い至ったところで、取材帰りによく通っていた千葉市の銭湯を思い出した。

 

銭湯も、足を運んだことのない人と、通っている人とでは、捉えられる感覚はまったく次元が違うものであると思う。

夕方の時分だと学生が多いが、夜になると普通に刺青を露わにした男たちが入って来る(一応、刺青の方はお断りと書いてはあるけど)。そして番台脇の休憩スペースでは年配の方がうまそうにタバコをくゆらせる。

最も驚いたのが、片足の無いおっちゃんが浴室に入ってきた時だ。床面はいかにも滑りそうなつるりとしたタイルで、これは手助けが必要だろうと慌てていると、洗面台の壁に手をつきながら実に器用にテンポよく浴槽まで辿り着いたのだ。誰の手を借りるでもなく、ごく当たり前の動作として、鮮やかにそれは展開された。

その時思った。

ここは社会の中の数少ない解放区なのではないかと。外の世界の、規定の価値観によるあるべき手助け、セーフティーネット、なるものではなく、個の存在と自由が担保された空間なのではないかと(なお、女湯は観察できないので悪しからず)。

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続いて白浜での暮らし。

白浜では地元集落の人たちの、地に足がついた暮らしぶりに元気をいただいた。

世間では既にCOVID-19で大騒ぎになっていて緊急事態宣言が出されている最中だったが、地元のじいちゃんやばあちゃんたちは淡々と畑でそら豆や新玉ねぎを収穫し、田植えを行なっていた。三密を想起させる空間なんて強いて言えばスーパーや一部飲食店くらいなもの。生きる糧をつくる生業は変わらないし、それを取り巻く木々や広がる海原もいつも通りの表情を魅せてくれた。否応無く地方の可能性を感じさせる暮らしの風景が毎日展開されたのだった。

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そうしたパラレルに連綿と続いていく世界が、多様に存在するということから目を背けずに、寛容になれる心をもっと養いたい。各地での生活を踏まえ改めてそう思ったのは、私自身が様々なバックボーンを持つ「友だち」「仲間」に支えられて今に至ったからだ。

「友だち」「仲間」

…なんて青臭い言葉だろう。

恥ずかしながら、少し前までそう思っていた。

だから「人間関係」「交流」といった言葉を引っ張り出してきて、「感情」的ではなく、敢えて「記号」的に、人と人との関わり合いについて表現していた。そんな気がする。

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そして、いすみ市の森と田園に抱かれたこの

「星空と長屋門の家」

おこがましい表現かもしれないけど、同世代の友だちの大きな支えがあってここにやってくることができた…というより、「戻ってきた」感覚が強い(勝浦市はすぐ隣で、いすみとよく行き来していた)。

ここまで導いてくれた、家を管理されている三星さん、石川さんに改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございます!

ここで新たな日常を積み重ねていきたいと思う。

 

※業務連絡ですが、大幅に遅れているものの本は鋭意制作中です!もうしばらくお待ちくださいませ