房総コーヒーに関わるみなさまに、改めて御礼申し上げます。
おかげさまで『房総コーヒー 旅と日常』の編集室在庫がゼロとなりました。本日をもちまして売り切れとさせていただきます。
なお、在庫調査をしていただいている丸善津田沼店さんには数十部ほど在庫があるほか、お付き合いのあるカフェや書店さんなどでは引き続き販売していただいております。
また、千葉市、我孫子市、勝浦市などの図書館にも納めさせていただいております(ついこの間は鎌ケ谷市立図書館さんからもご注文いただきました)。図書館が再開されましたら、ぜひそちらでもご覧いただければと思います。
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この『房総コーヒー』は1500部刷った。ひと箱10キロ以上あるのではないかという段ボール箱が10箱程になったと記憶している。印刷所から納品されたばかりのそれを、自宅の部屋の中で積み上げた様は実に迫力があった。その光景を目の当たりにすると「果たしてこれだけのものを送り届けることができるのだろうか…」という不安に、否応なく襲われたのだった。
それはプレッシャーだ。
自分の意志で本を作ろうと決め、取材をし、編集し、形にする。分かりやすいので自分の仕事を「一人出版者」などと言っているが、形になった本を手にすると、とても一人の仕事などとは思えなくなる。だから、納品されたその迫力ある光景そのものが、この本に関わってくださった人たち、またこれから関わってくれるであろう人たちの熱量の総和であるような、そんな気がしてくる。だから、身体がゾクッとするような、心臓の鼓動がはっきりと聞こえるような、そんな重圧を感じる。この感覚は必要なものだと思っている。私にとって、それまでの制作モードから販売モードへ切り替えるための、儀式のようなものだ。
この熱量を、滞りなく最後まで送り届けることができた。まさかあのコーヒー本の「山」が、綺麗になくなる日が来るとは。本当に有難いとしか言いようがない。取材のご協力をいただいたコーヒー店やカフェの方々、本に込めた熱量を送り届けてくれた販売店さん、そして読者のみなさまに、改めて感謝申し上げます。
そしてこの本、『房総コーヒー』にも「お疲れさま」と言いたい。
コーヒーは一般的に嗜好品と言われるだけあって(今のコロナ禍において、安らぎや心の拠り所となるコーヒーは、私的には「必需品」だ)、媒体の切り口としてのその守備範囲は広く、店紹介のガイドブックから淹れ方、豆の種類、豆のグレード、抽出器具やロースターの解説、他の食べ物とのペアリング、栽培地のルポルタージュ……等々、様々な視点からまとめらた本や記事を、巷で、ネット上で見たり読んだりすることができる。
一方で、ここ千葉県を改めて見渡してみる。
海や里山、ベッドタウンや古い町並みなど、多彩な表情を持つ千葉・房総という土地で繰り広げられるコーヒーあるシーンの数々からは、この地に暮らす人たちの多様性ある生き方が垣間見える。私はコーヒーのウンチクよりも「そこ」を編集したかった。そうすることで、「こう淹れるべき」「この店に行くべし」という呪縛から解き放たれて、自由にコーヒーの愉しさ、美味しさと触れ合えるのではないかと。素朴な「いいな」という感覚から、千葉県に生きる人たちの魅力、風土の素晴らしさが、じわりと伝わるのだと思ったのだ。
千葉・房総には、東京を起点とした都市型ライフスタイルの方もいれば、千葉市以南・以西の海辺や里山に移住して新たな暮らしを始める人たちもいる。海だけとってみても、銚子の海と南房総の海、東京湾とではまるで表情が異なり、それぞれに美しさを魅せてくれる。多彩な風土と多彩な人々が織りなす暮らしと生業の佇まいこそが、この地の魅力である。そんなフィールドだからこそ、コーヒーに対しても多様でありたかった。自由さがあってほしかった。コーヒーという要素をきっかけに「人と風土の多様性」を伝えることができれば、ひとつの「千葉・房総の名刺」としての本になるのではないかと、そんな思いを込めて編集したのが『房総コーヒー』なのだ。
そういう意味で、この本はよくやってくれたと思う。
コーヒースタンドの脇に佇む姿は、しっかりと街のシーンの一部となってくれていたし、何より閲覧用として各店に置いていただいていた『房総コーヒー』の奮闘ぶりには込み上げてくるものがあった。手垢が付き黒ずみ、頁をめくる部分などふやけて倍ぐらいの厚みなっていたりする。店によっては焙煎の煙で、月日を経ていい感じの表情に燻された本もあった。もげてバラバラになってもその度にお店の方に補修され、再びコーヒーのお供にページをめくられていった。そんな『房総コーヒー』たちに、心より「お疲れまさま」と言いたい。そして、本のあるシーンを育んでくれた店主のみなさんに、感謝。
最後の納品先となったのが大多喜町にある「珈琲 抱/HUG」となったのも感慨深い。この本で取材させていただいた店、ということももちろんあるが、それ以上に店主の水野さんには仕事、暮らしの両面で様々にお世話になっていたからだ。
本に関して言えば、編集室で一番最初に出した『房総カフェ』の誕生にも関わっている。あの本は本来、既存の出版社から世に送り出されるはずだった。が、印刷の直前で仕事を依頼してきてくれたその出版社が、なんと倒産してしまう。そこから自費出版によるリトルプレスの発行、という方向へ舵を切るにあたりアドバイスをしてくれたり、出版後にフォローしてくれた人の一人が水野さんであった。
水野さんの師はかつて南青山にあった著名な珈琲店の店主だが、「答え」を直接教えるのではなく「導く」人であったと、水野さんは仰る。じわじわと理解していくことで、答えよりも「本質」に辿り着けるのだと。
手回しのロースターで焙煎したコーヒーを、美しい所作で淹れ、淡々とした会話の中に「導き」を潜ませてくれる水野さん。私はまだまだ本質を感じられるに至っていない未熟者だが、房総の里山に抱かれた喫茶室でそれを探るひとときは、大切な時間であるのは間違いない。
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さて、この『房総コーヒー』。熟慮した結果、増刷しないことに決めました。それは将来、「然るべき時」がやってくるであろうと、漠然とながら感じているからです。その時に、新たな房総のコーヒーの本として出版したいと考えております。
改めて、房総コーヒーに関わるみなさま、どうもありがとうございました。