紡がれた糸がハートに繋がってゆく〜「ホームスパン 中村工房」。編むという仕事の面白さを胸に

 4代目、和正さん作のホームスパンクッションはうちの古民家で大活躍中です(笑)

Posted on 2015.11.9

ふと届いた一通の手紙。

盛岡、中村工房の都子さんからでした。

しばらくご無沙汰しちゃっていたな・・・。

久しぶりにまたあの笑顔に会いたい。

離れていてもご縁の糸は繋がり続ける。

糸を辿って北東北の旅の最後に、

ホームスパンの中村工房へ。


日が傾き始めた頃、高松の池(マンガ「とりぱん」で頻繁に『T松の池』として登場してますね・笑)の先の住宅街へ。宅地の一角に中村工房が佇んでいます。


■中村工房

盛岡市高松3-2-15

webサイト →  ● 

 

 

玄関から中を覗くと、博行さんの変わらぬ笑顔が!

いやー、懐かしい!!

と、隣に若い男性が。おや、新しいスタッフさんでしょうか?


「『お前、もうやれ!』って息子に言って」


と笑う博行さん。なんと、この若い男性は博行さんのご子息、和正さん。4台目として中村工房の代表に就任されたのだそうです。いやビックリです!

4代目・和正さんに撮っていただきました記念写真。中村博行さん、都子さんご夫妻とともに・・・宝物の一枚になります!
4代目・和正さんに撮っていただきました記念写真。中村博行さん、都子さんご夫妻とともに・・・宝物の一枚になります!
こちらは3代目・博行さんに撮っていただいた記念写真。中央が和正さんです。それにしても、一眼レフを構える博行さんのフォルムがピシッと決まっていて、(オーラが出ていているようで)久しぶりにゾクッとしました(もちろんその写真は撮影できませんでしたが)
こちらは3代目・博行さんに撮っていただいた記念写真。中央が和正さんです。それにしても、一眼レフを構える博行さんのフォルムがピシッと決まっていて、(オーラが出ていているようで)久しぶりにゾクッとしました(もちろんその写真は撮影できませんでしたが)

ちなみにホームスパンとは、家庭(ホーム)で紡がれた(スパン)羊毛の織物のこと。スコットランドから伝わり、岩手では手紡ぎ、手織りのホームスパンが今も受け継がれてます。その中でも中村工房は大正8年に創業、博行さんが三代目になります。


ホームスパンや中村工房については、盛岡のミニコミ紙「てくり」でおなじみの「まちの編集室」から最近発行された「HOMESPUN in IWATE 岩手のホームスパン」に詳しく書かれていますのでぜひご覧いただければと思います。


挨拶もそこそこに、ショールームにご案内いただきました。

以前訪ねた時と同じく、博行さんの「好奇心」がそのまま、ホームスパンの下に並べられています(笑)


「今ね、建物に興味があるの、オリンピックの(新国立競技場白紙撤回)後からね。あとこれ、機関車トーマスが好きなの。息子にプレゼントしてもらったの!その息子がこの位の時にあげようとしたら『お父さんが持ってなよ』なんていってね」


と博行さんが屈託ない笑顔で話すと、和正さんが


「いやぁ、よく見るとトーマスって怖いじゃないですか」


とちょっと苦笑い。興味が尽きない、博行さんそのもののショールームは健在でした。

そう、約10年前の秋田在住時代に中村工房を訪ねた時、


「二十代、三十代の頃は、いろんなものに興味を持つこと」


と博行さんから繰り返し言われたことを思い出します。いま思うとどんな仕事であれ、それが新しい発想の原点になるのだと、そう感じる時があります。


中村工房のショールームはわくわくする好奇心でいっぱい
中村工房のショールームはわくわくする好奇心でいっぱい

もちろん、ホームスパンも「スコットランドの本場の織りにチャレンジ」した手紡ぎ、手織りのものが健在。最近はムカデマフラーも人気のようですが、こちらは、


「これは『おっぱいマフラー』。俗称ね(笑)」


というちょっとチャーミングなホームスパンマフラー。作品に遊び心が垣間見えて思わず頬が緩みます。

ただ、手作りゆえの値段が、最近は高いと感じられてしまうことが多くなったといいます。それでも、


「お金じゃない、人だよ。ハートなの!」


と、職人としての矜持を持ち続けています。


この日は、和正さんが織ったホームスパンのクッションを買い求めました。さらさらふわふわした肌触り。このクッションで昼寝したらさぞかし気持ちいいだろうなぁという企てが、頭の中に浮かんでいました。


ショールームのテーブルでお茶をご馳走になりながら、4代目の和正さんのことや工房を訪ねて来たお客さんのこと、ホームスパンの取材陣のことなど、様々なお話をお話くださいました・・・なんだかこのシチュエーションが、あの頃の事のようで、妙に懐かしい気分に包まれました。


秋田で添乗員をしていた頃、その仕事に対し迷い、疑問を抱き、そして前へ進む推進力を失いかけていました。その呪縛から逃れるように、盛岡に通っていた・・・と、いうより彷徨っていました。ある日、中村工房を訪ねると、たまたま三代目の中村博行さんがおられました。お話する中、自然と私の人生相談のようになっていました。その時、中村さんが


「キミのやりたい事というのはこういうことなんじゃないのかな」


と、一冊の本を差し出してくれました。それが、盛岡のミニコミ誌「てくり」(まちの編集室刊)第2号、「メイド・イン・モリオカ」特集でした。


モノや事を「編む」人たちは何を伝えたいのでしょうか。そもそも本当に、作り手自身の「好き」という気持ち、「残っていてほしいな」「知ってほしいな」という想い、あるいは「使命」や「矜持」といったものが、社会や地域を取り巻く大勢の流れに翻弄されない純度の高いものとして編集されているのでしょうか。様々なモノや事に触れる度に、そのことを考えることが増えました。


「中村工房」や「てくり」から感じ取った、そんな感覚が再び甦ってきます。

地域に散りばめられた糸を紡ぐヒントを胸に、そろそろ千葉へと戻る事にしましょう。おかげさまでこれからも編集が楽しくなりそうです。中村さん、貴重なお時間をどうもありがとうございました。