郷愁誘う黄昏の港町で過去の記憶との邂逅〜明治元年から続く本屋さん・木更津「紅雲堂書店」で昭和4年『千葉縣木更津町鳥瞰』と出逢いました

 旧字体の看板が圧倒的な存在感を放ちます

本屋としての創業は明治元年。江戸時代には乾物の卸業をされていました
本屋としての創業は明治元年。江戸時代には乾物の卸業をされていました

房総半島夕景。

太平洋に面した外房と、東京湾に面した内房とでは、

まるでその表情が異なる。

久しぶりに眺めた木更津港からの夕焼け。

師走のピンと張り詰めた寒空に、

滲むような暖色を溶け込ませてゆきます。

私が木更津市に住み始めて間もなく『木更津キャッツアイ』が流行り、眼前に架かる中の島大橋がロケ地として脚光を浴びました。モー子をおんぶしてこの橋を渡った・・・・・というエピソードから話が膨らみ、いつの間にか「恋人の聖地」と持ち上げられるように。そういえば、『キャッツアイ』のなかで、「木更津にスタバができますように」とモー子が八剱八幡神社に願掛けする場面がありましたが、その後、本当に新興住宅地の中にスタバが出来ました。木更津のカフェ事情も、この10年足らずで、随分変わっていきました。


足繁く通った銭湯「人参湯」は、閉業されていました。黄昏の中に、湯船の記憶との邂逅・・・
足繁く通った銭湯「人参湯」は、閉業されていました。黄昏の中に、湯船の記憶との邂逅・・・

そのカフェに絡んで、改めての木更津訪問です。

そう、『房総カフェ』を「あの本屋さん」に置いてもらうためです。

港町・木更津の旧市街。

駅西口エリアの古い建物がところどころ残るこの界隈に、木更津のまちを見続けてきた、老舗の本屋さんがあるのです。それがここ「紅雲堂書店」です。

■紅雲堂書店(木更津市中央2-4-24)

市役所のまち歩きガイドページの中に、紅雲堂書店の紹介があります

「みなとまち木更津」のレトロ建築 →  ● 


窓の上に朱色で象られた店名。右から左へ読みます。ガラス越しに中を覗くと、今や懐かしい平台が。上に新刊雑誌が所狭しと並んでいます。中に入ると、


「いらっしゃい~」

「『小学一年生』を買いに・・・」

とお店の方と親子連れのお客さんがやり取りしています。


落ち着いたところで、店主の鈴木淳之(じゅんじ)さんに『房総カフェ』の話を切り出すと、二つ返事で置いて頂けました。いやぁ、ありがとうございます!


さらに、『ぐるっと千葉』で働いていたんです、と打ち明けると、


「あぁ、昔っから知ってるよ」


と、頷いてくれました。なんと、ぐる千葉の前身『おっさ』時代からご存知でした。

さすが、ぐる千葉発祥の地。もちろん、『ぐるっと千葉』も置いてあって、この通り「専用ラック」付きのVIP待遇です(笑)

勝浦から来た事を告げると、なんと鈴木さん、勝浦の「中屋書店」の方とお友達だそう。房総半島を横断しての繋がりがあるとは驚きです。さらには、紅雲堂書店の歴史の深さ。なんと本屋として商いを始めたのは明治元年で、江戸時代には乾物の卸をされていたそうです。


「関東大震災でも倒れなかったからね」


と、建物も明治時代の当時のまま。さすがに感嘆してしまいますと、鈴木さんが嬉しそうに、なにやら壁に掛かった古い地図を持ってきます。昭和4年に描かれた『千葉縣木更津町鳥瞰』です。

これを見ると、現在は木更津駅東口、山側の方が宅地開発が進んでいますが、当時は田んぼがメインで、街は海寄りの西口界隈にあったことが一目瞭然で分かります。さらに、よぉく眼を凝らしてみて見ると・・・あっ!紅雲堂さん、みっけ!!

さすが明治元年からの本屋さん。ばっちり描かれています。鈴木さんに地図を交えながらお話を伺うと、たくさんあった魚屋の話や、呉服屋の話など、尽きる事がありません。


最後に納品書にハンコをもらいましたが、これがなんとも愛らしいデザインで一目惚れ(笑)お手製の栞も素敵ですね。

木更津町鳥瞰図のコピーを購入したら、「主婦と生活社」の販促品(と思われる)鍋洗いタワシをいただいちゃいました。さすが本屋さんです(笑)
木更津町鳥瞰図のコピーを購入したら、「主婦と生活社」の販促品(と思われる)鍋洗いタワシをいただいちゃいました。さすが本屋さんです(笑)

ぜひ、港町散策のついでに老舗の本屋さんで、木更津ヒストリーのいちページをめくってみてくださいね。