本文中に登場するお気に入りのパン屋さん。
ご察しの通り「naya」さんです。
パンを拵えてピーナッツバターを求めて海辺のまち、九十九里町へ。
なんと贅沢な房総ドライブでしょう
・・・・・違った。取材、お仕事です(笑)
カタクチイワシや、その加工品「イワシのゴマ漬け」で知られる九十九里町は、サーフィンのメッカとしてもその存在感を持つ町。しかしながら、波乗り道路からちょっと内陸に眼を向ければ、どこまでも続く伸びやかな平野が広がり、散居村然とした、この地域ならではの風景が展開されます。
その田園の一角を耕作されているのが「HAPPY NUTS DAY」。実は今、巷でHNDのこの「PEANUT BUTTER」がブレイクしているのです。
今回、代表の村井駿介さんを取材させていただきました。ちょうど取材当日は仲間たちと行う落花生の収穫作業の日。神戸や大阪からも友人が駆けつけてくれました。その愉快な作業の様子は本誌をぜひご覧下さい。個人的に印象的だったのは、収穫した落花生を積み上げた「ぼっち」を作らないこと。八街の秋の風物詩にもなっている落花生のぼっちですが、こちらのように、畦に置いて乾燥させる方法もあるのだと、教えて頂きました。
村井さんの実家は九十九里町の農家。高校生の頃から、いつかは農業を、と考えていたそうです。その頃、大規模農業について書いた新聞が目につきはじめ、大学生の時に三年間、デンマークに留学。現地の大規模農業の現場に触れました。その時、
「規模感が違うな。
これ、日本でやる人がいるんだろうか」
という感覚を抱いたといいます。
また、留学中、スケボーをやって怪我をしてしまうのですが、
「デンマークって、留学生は治療費がタダだったんです。
もう、福祉も違うなって。
そういうことも感じたんです」
様々な疑問を抱きつつ、大学へ戻りました。
在学中には、先輩からの誘いで表参道のマルシェに出店。父親の野菜などを販売するようになります。ただ、そこで感じたのが
「加工品の方が売れるな」
ということ。そんな折、トマト加工、トマトペーストソースを作らないか、という話が持ち上がります。が、時は落花生の収穫シーズン。そこでトマトではなく、落花生の加工という道を選んだのです。
ピーナッツバターづくりに、当初はすり鉢で擂るところから、まさにゼロからの開始。試行錯誤の連続でした。会社の設立に関しても、
「社会人未経験で、
そもそも名刺って、どう渡すの?
って感じで(笑)」
そんな状態でしたが、スケボー仲間のメンバーたちが手を差し伸べてくれたことが大きかったと、村井さんは振り返ります。
ピーナッツバターが知れわたってくるようになってからも、紆余曲折が続きます。展示会で販売したさい、注文の多さに工場のラインがついていけず、機械が壊れたこともありました(ピーナッツバターは粘度が高く、加工が難しいそうです)。現在は1時間で20個作るのが限界。新たな工場の生産ラインを模索しているといいます。
落花生の焙煎については
「10秒の焙煎時間で風味が変わる」
と、焙煎の「色見本」まで用意する徹底ぶりです。これには驚きました。いや、HNDのピーナッツバター、その味わいの特徴はなんといっても「香り高さ」なんです。その味わいは本誌で、そしてみなさんの舌で味わってみて下さいね。
「九十九里ってサーフスポットじゃないですか。
でも町としてのホスピタリティが弱いなって思うんです。
遊んで、九十九里良かったねと言われるような町にしたいですよね。
ここって、天然ガスやヨードも取れるじゃないですか。
天然ガス掘って温泉ができるようになるんじゃないかな。
ヨードの温泉。
井戸水にも成分が含まれているらしいですし。
温泉、できるといいな。
町を盛り上げていきたいんですよね。
若い人たちみんな都心部でちゃうんで。
地元でもできるし、
こういう農業でもできるんだってことを伝えていきたいですね」
地域の未来を語る村井さんは、本当に熱いです。
さらに、活動のひとつの軸になるピーナッツバターは、
「外国では日本以上に一般的なんです」
と、世界に通用する「存在感」をも見据えています。それは、学生の時抱いた疑問と、足元の地域の現状が、底流にあるのかもしれません。
「ピーナッツバターの仕事をしてて朝になっちゃって、
そのままのノリで朝日浴びてこうって、
サーフィンに行ったりとか」
ここで暮らし、生業を築いていくことの可能性、そして、愉しさ。
村井さんとその仲間たちの笑顔をみていると、胸の中にあるもやっとした澱みが消えてゆくのが分かりました。