美しき大山。そして、
清々しく、まっすぐなおもてなしを
山陰の旅、最後の宿泊地は、山陰随一の名峰・大山(だいせん)に抱かれし町、大山町です。植田正治写真美術館に立ち寄った後、大山の登山口「大山寺」地域にある「大山ゲストハウス寿庵」を訪ねました。
■大山ゲストハウス寿庵
鳥取県西伯郡大山町大山36-5
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麓から随分とのぼって来たな、という感覚なのですが、こんな高原のエリアにも町が形成されているから驚きです。振り返ると、消えかかる夕日のグラデーションが、群青に染まっていくところでした。色彩のキャンバスの下に、米子の街の夜景が、星々のごとく輝いて見えます。そして、遠くには瞬く漁り火の灯り・・・。
この大山寺界隈は、古刹・大山寺を中心に発達した町です。大山寺は、高野山金剛峯寺、比叡山延暦寺と並ぶ大寺でしたが、明治の廃仏毀釈をきっかけに急激に衰退。その後は大山登山口としての観光の町として発展しました。ですが、現在は過疎と高齢化に悩む状態となっています。
大山ゲストハウス寿庵は今年の6月にオープン。「大山寿荘」という、約40年続いてきた宿が閉業するのをきっかけに、この町の旅館でずっと働いてきていた矢田浩子さんが建物を引き継ぎ、ゲストハウスとしてオープンさせたのです。
この日、到着したのが日没後。豪円湯院というゲストハウスから歩いて数分のところにある入浴施設でひとっ風呂浴びたら夕食タイム。今日はたまたま矢田さんが「下に行く」というので、米子の街まで夕食に繰り出す事にしました。訊けば、驚くことに矢田さんは
「飛び込みのお客さんがいらっしゃるので」
と、月に2回ほどしか「下界」に降りないというのです。まさに山のひと、であります。夕食は地産地消バイキングのお店へ。お腹いっぱい、デザートまで平らげました。
夕食後、矢田さんに、なぜゲストハウスを始めたのか、その疑問をぶつけてみました。
矢田さんは出雲市のご出身。当初は新聞社(県域紙)に勤めていました。
「営業も記事も担当していたのですが、
身体を壊してから広告会社に入社しました。
まだDTPがなく、写植だったんです。
ようやくMacがきたけど、今とまったくやりかたが違う。
当時のパソコン操作は、今は覚えていないですね」
その後、山好きが高じて、大山寺界隈の旅館に住み込みで働き始めます。
「山人たちを見送り続けました。
自分自身も山へ登り、大山の魅力に引き込まれていきましたね」
そうして大山に来てから、16年の歳月が流れていました。
「だんだん、自分ならではのやり方でやりたいな。
私だったらこうやりたいなって、思い始めるようになってきたんです」
と、仕事の合間に物件を探し始めるように。しかしながら、狭い大山寺界隈の中でちょうどいい空き物件と出逢うのは容易ではありません。そんな時、大山寿荘が閉業するとの情報が入り、引き継ぐことになりました。
「消防はイチから始めて。あれこれ言われましたね(笑)」
浴室は既存のものがあるものの、ゲストハウスの規模にしては広過ぎ、また、痛みもあったため使用を断念。ユニットバス導入を検討中です。
「シャワーが今あるんですが、冬は寒くて浴び続けるでしょ。
光熱費がかかるのでどうしたものかな」
と、古い建物故に、課題も出てきました。
ハード面のこうした課題に加え、一番気を揉んでいることが、
「お客さんがゼロの日の恐怖」
だと、矢田さんは打ち明けます。
「寝る前にもっとすべきことがあったのではと、
自己嫌悪に陥りつつ眠りにつくこともあります」
設備投資をして、自分自身の采配でひとつの宿を経営していく。
その重圧は計り知れないものがあるのです。それでも、
「お客さんがいらっしゃると思うと、
身体が軽くなり、よく動くんです」
と、住み込み時代の精神が、矢田さんを動かし続けます。
日々を綴ったブログを見た、遠く、谷川岳の宿から
「初心を思い出しました」
と、メッセージが届いたこともありました。今も時折、この宿からアドバイスをもらうことがあると、矢田さんは云います。
「ここでやる以上、地域のためになるようにしたい。
もっと、ここを回ってもらいたいんです」
そう語る矢田さんに、大山寺周遊のアドバイスを頂き、翌日、界隈をまわってみることにしました。
翌朝。
朝日差し込む部屋の窓から、泰然と構える大山の勇姿が広がっていました。
大山寺へと至る小道をそぞろ歩きます。実はこの小道の先にある、古民家喫茶「田舎家」さんで、「寿庵お泊まりのお客さま限定モーニング」があるのです。ゲストハウスと地元のお店の面白いコラボレーションです。
食後は周辺を散策します。
まずは大山寺から。
続いて、大山寺の奥にある、大神山神社奥宮へ。この、杉木立の参道が、実に気持ちがいいのです。杜の中に心地良いリズムを奏でるせせらぎの音。苔むした参道の石畳。朝の、凛とした空気に包まれた参道を歩いていると、背筋が思わずしゃんとします。深呼吸の、おいしい小径へ。
大神山神社奥宮は文化2年(1805年)の建立と云われ、社殿は権現造り。毎年6月の山開き祭は、ここで行われます。
散策から戻ると、矢田さんが待っていてくれました。
ちょうど、旅館時代の同僚の方が梨を差し入れに来てくれ、さっそく戴きました。
梨を頬張りながら、界隈の環境の素晴らしさについて報告すると、
「もっと街中、それこそ出雲でやった方が
お客さんが来るんじゃないのって言われます。
でも、ここが好きだからやるんです。
でも私、パソコンが苦手で・・・。
もっとその良さを伝えられたらと思うんですが。
大山は、ほんとうに素敵なところなんです」
矢田さんは大山の魅力を語り出すと止まりません。その時の目はほんとうに輝いています。この地を愛してやまない。その一途な気持ちがある限り、大山のようなこの地にかけがえのない存在感を、やがて宿していくことになるのでしょう。清々しく、まっすぐなおもてなし、どうもありがとうございました。