「人形から平和の匂いがする」〜千葉県が誇る郷土人形「芝原人形」四代目継承者・千葉惣次先生の講演会に参加しました

 

―――人形から平和の匂いがする

芝原人形四代目継承者・千葉惣次先生に訊く

 

たまあーと創作工房・わっくわく共同企画 講演会「学びの日」第一回「千葉惣次先生をお招きして 日本文化の蓄積 ~持続している地域工芸~ 芝原人形を通じて」

 

 

先日の週末、一宮町にある美術教室・こども教室「たまあーと創作工房」さんで芝原(しばら)人形四代目継承者・千葉惣次先生をお招きしての講演会が行われました。いすみ市大原にある古民家ギャラリー「北土舎」さんでその愛くるしい姿に見つめられて以来、すっかり芝原人形の虜に。昨年末には先生の工房で第8回縁起物展が行われ足を運んでみました。

 

第8回縁起物展の模様のエントリーです▽

■長南町に伝わる郷土人形新年を寿ぐ~芝原人形「縁起物展」は12月23日まで。美しきオカザリも必見!

 

芝原人形とは、、、

 

『千葉県長南町に約百四十年間伝承されている郷土人形です。振るとカラカラと音がすることから石っころ雛と言われ、長生地方の雛祭りに飾られました。江戸の初期から三百五十年の伝統をもつ土人形の系統です。手起しで型抜きをします。乾燥後、二昼夜かけて八百五十度で焼成し、胡粉をかけて彩色します。種類は内裏雛、明治風俗、他百五十種です』(第8回縁起物展説明文より)。

 

この日、一度は途絶えてしまった芝原人形を、四代目として継承された千葉先生が講演を行うとあって、会場は大入りでした。ところが私、ここのところ週末はほぼ出展かイベント参加・撮影等々の予定が入っており、この日も午前中は別の催しへ。終了後にダッシュで駆けつけたものの、一時間近く遅れての参加となりました。先生のお話を伺ったのは後半からでしたが、それは日本文化、人形製作から、伝統の意味や人形に込められた時代時代の生き様に至るまで、実に奥深い内容なのでした。

 

 

●お酒好きの「歳神様」

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「皆さん、お正月に迎える神様は何ですか?

 、、、『歳神様(としがみさま)』です。

 じゃあ、歳神様って何の神様だか、分りますか?」

 

千葉先生が問うと、しばらくの沈黙の後、会場から神話に登場する神様など、幾つかの神様の名前が飛び交います。ところが、

 

「ご先祖様なんです」

 

と、千葉先生。、、、なるほど!

ちなみにお盆の時はご先祖様、「仏様」となってやって来るのだそう。神様仏様、実にバランスが取れているのであります。

 

お正月には御酒を神棚に供えます。ところが、

 

「今、お酒を入れているところは少なくなってきましたよね。

 だいたいお水に榊を入れているんじゃないですか?

 これでは神様はガッカリしてしまいます。

 神様はお酒好きなんです(笑)

 ぜひ、お酒を入れてみてください。

 きっと福が来ますよ」

 

さらに、

 

「本当は、『御酒口』を入れるんです」

 

と、本来は榊ではなく、御酒口(おみきぐち)と呼ばれる竹細工の縁起物を御酒徳利にさすのだそうです。ところが、郷土人形や、この後登場する「切り紙」にも増して「絶滅危惧種」なのだそうです。

 

「どこかの酒蔵で『御酒口』をしてくれるところはないですかね」

 

と語る千葉先生の表情には寂しさが漂っていました。

 

 

●「作為」がないということ~東北の伝承切り紙より

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「民俗芸能を見て歩くのが好きなんです。

 日本中のお祭りを見て歩きました」

 

と先生が見つめるその先にあるのは、会場に飾られた伝承切り紙「オカザリ」の「切り透かし」です。オカザリは主に正月飾りとして神棚に飾られる切り紙で、平面的な「切り透かし」、立体的な「御幣」「網飾り」に大別されます。この日天井から吊るされた切り透かしは宮城県気仙沼市のものだそうです。縁起物のモチーフが見事に切り抜かれています。

 

「東北の切り紙に、世界で並び称するところがないというほど惚れ込みまして(笑)

 切り紙は神社の神主が氏子に授与するんです。

 6年かけて東北を廻って(各地で)授与してもらいました」

 

その中でユニークだったエピソードが、

 

「耕耘機に馬頭観音(の切り紙)を祀っているところがあるんです」

 

なぜ現代のモノにお祀りされるのでしょうか?

耕耘機を導入する前は何で耕していたのか、、、、、そう、牛馬です。

動物から機械に変わっても、感謝と祈りを込める想いは繋がっていたのです。

 

現在では決まった大きさのモチーフがあり、数枚の和紙(障子紙)を重ねてカッターなどで切っていくことが多い。ですが、

 

「昔は片方の人が(小刀を)研いで、

 片方の人が(切り紙を)切っていました。

 (かつては)各家々で紙を用意しておりまして、

 貧乏な家は小さな紙、大きな家は大きい紙を用意します。

 紙の大きさが違うからモチーフの大きさも異なりますよね。

 それに対応しながら切っていったのは、すごい技術なんですよね」

 

そして、先生が最も強調されていたのが、

 

「『作為』というものが見えないんです」

 

ということ。

 

「『どうだ。俺、うまいだろ』というような。

 作為がミエミエだったりということがないんです。

 切り紙も人形も、作為がないんです」

 

それは「伝統」という意味を考える、興味深い視座の入口なのでした。

 

 

 

 

 

●伝統の型でつくる芝原人形

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「一番知らないのは『自分』です」

 

日々、芝原人形をつくり続ける千葉先生。

自らのことをこうおっしゃいます。

 

「日本の人形というのは現物と一緒に、そっくりに作らない。

 例えばどこか一部分を強調したり」

 

「(その当時の人形に)近づけたのは作れるけど、同じのは作れない。

 江戸より明治の方が、復元しにくいんです。

 明治はローカル色がより濃くなりますから」

 

その江戸時代の人形についても、

 

「江戸時代の人形には歯をくいしばっても敵わない」

 

と先生はおっしゃいます。

一つは、動物の「身近さ」が影響しているのではないか、ということ。現在は単なる愛玩動物である犬も、

 

「江戸時代、犬は犬の知恵で生きていた」

 

といい、その犬の佇まい、見え方も、当時と今では違いがあるのではないかと推測されます。二つめは、

 

「作った量の違いです。

 僕が一生に10万個作れたとすると、

 江戸時代の人たちは100万個以上作ったでしょうからね」

 子どもの頃から手伝いをしていたのと、

 20歳くらいからやり始めるのでは、もうスタートから違う」

 

そんな、千葉先生は、全国の郷土人形の蒐集家でもあります。一時、その数は五千にものぼりましたが、

 

「二千点を火事で失いました。

 江戸時代から伝わってきた人形もありまして。

 償いのつもりで人形を作っています」

 

視線を落としながら打ち明ける先生。それでも数多くの人形と出逢ったことで、

 

「芝原人形がどの立ち位置にあるか分かる」

 

と云います。

 

「気が付かないうちに現代化しています。

 違う雰囲気になっていったなとかね、

(人形づくりをやり続けると)腕がよくなってくるので。

 今日より明日がいいとは言えない。上手くなりすぎる」

 

「伝統の型の中でやっているんです。

 私の個性は一切考えない。考えると醜くなります。

 決められたものを忠実に復元する。

 これに幸せを感じるんですよね。心の充足っていうかな」

 

先ほどの「作為」の話を思い返されます。

 

「人形は型なんですよね。

 西洋と日本の人形はまるで違う。

 西洋の人形は具体性がある。合理主義。

 怖く見えるのは具体性があるから。

 でも人間には非合理がある。

 日本の人形には背後に控えるものがある」

 

そう、人形には、私たちがまだ知り得ない日本文化の素晴らしさが宿っているのです。

 

 

●『人形から平和の匂いがする』

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「戦争をしないことで、人形が生まれたんです」

 

それが日本の豊かさ。人形は平和のひとつの顕れであると。

先生のお話を伺うと、そう感ぜずにはいられません。

 

「江戸時代は暇はあるけどお金がない、

 農業以外の時間は。

 趣味に充てる時間があって、上手な余暇の過ごし方がありました」

 

その余暇に充てられたものの象徴が「浮世絵」。人形も江戸時代の文化のひとつであると。そして、その背景にあるのが貧富の差が少ない世相がありました。

 

「当時、武士は貧しかった。特に下級武士はね。

(地方では)それぞれの大名が支配権を持っていたんですね。

 独立採算制。格差を作らない」

 

士農工商の身分制度は存在していましたが、「不満を作らない」工夫、仕組みがあったのが江戸時代なのです。

 

「貧乏な人がお金持ちのすぐ隣にいると『ちょっとそれは・・・』となりますよね(笑)」

 

そうした伝統を受け継ぐ日本だからこそ、これからの21世紀の役割が重要になってくると、先生は説きます。

 

「経済だけじゃない。競争原理だけじゃない。

 ヨーロッパもアメリカもできないこと。

 日本の文化は競争原理と合わないところがある。

 人形を競争原理でいったら元も子もなくなるのね」

 

競争原理の中に組み込まれた人形は「作為」を持ちます。

それはこれまで受け継いできた「伝統」なのでしょうか?

いかに現代社会が郷土の工芸の生きにくい社会であるかということを、改めて思い知らされるのです。

 

先生は語りかけます。

 

「江戸時代の日本のような心意気を持ってもいいんじゃないかな。

 明日の方がもっともっと豊かに、というのではなくて」

 

人形を残すこと。

そこには、ヒューマンスケール、ムリのなさ、身の丈にあったライフスタイル、、、そんなコトバや価値観が浮かび上がってきます。いい塩梅、なんていうコトバも繋がってきそうですね。

 

「戦時中は(人形は)生まれなかった。

 芝原人形は昭和24年に廃業を決意したそうです。

 でも東京に面倒見のいい方がいて、販路を作ってもらい、

 辛うじてなんとかなったんです。

 かつて(全国に)200はあった(郷土)人形の工房は

 17、18箇所くらいになってしまったのではないでしょうか」

 

目の前の人形から、どんなメッセージを訊くのか。

 

「人形から平和の匂いがする」

 

人形には時代時代の暮らしが、素朴だけれどもささやかな豊かさが漂う生活が、凝縮しているのかもしれません。

 

 

※昨年末の縁起物展に続き、先生の自宅工房(長南町岩撫44。「as it is」さんのすぐ近く)にて、2月22日~3月2日まで雛人形の芝原人形を中心として展示会が行われるそうです